古野のブログ
「相互評価って何」 3回シリーズ‐3 /コラム
2017.06.14
我々は、人事評価として、この「貢献度合いを測る相互評価」をお薦めしています。
しかし、「貢献度」という抽象的な基準だけで、相互評価することが客観性があり、人事評価として活用できるのか? という質問を投げかけられます。
評価なんだから、客観性を保つためにも、「たくさんの項目で絶対評価が正しい」と思っている方も多いのです。人事制度を構築支援するコンサルティング会社も、基本的には、項目を増やす方ですよね。でも、本当にいいんでしょうか?
10年前、ある会社は人事コンサルティング会社と契約して新しい評価制度を導入しました。現場の声も反映してパフォーマンス評価だけでなく、様々なプロセスや行動を評価する項目が組み込まれ、結果的に百数十の項目が設定されました。
さて、導入後1年目の評価時期にその会社の人事部長にお会いした時に、嘆いていました。
「直属の部下は十名だけど、二次評価者を含めると約百名近くにもなる。導入を決めた側として、自分が率先しようと頑張っているけど、百名それぞれ百数十項目をチェックするのは土台に無理。直属の十名でさえ絶対的な評価のつもりが、ついつい相対化してしまっていた。最後は合計点の順位を見ながら、アイツの方が上だからと思って項目の数字を微調整していましたからね」と。
「本当に、こんなにも多くの項目が必要だったのか、我ながら疑ってしまった」
そうなんです。
人間の潜在能力の一つに平均化能力というのがあります。それは、直感的に他を評価する時にも顔を出します。結果を相対化しつつ、同時に日常の累積である過程そのものも平均化していくのです。
だから、評価する前から『彼が一番で、彼は二番。彼女が三番手だったかなぁ』と頭の中で順位づけしています。それを一度は頭の中に押し込んで、それぞれの項目の絶対的評価をしていくのですが、合計点を出してみると、押し込んでいた順位が「ちょっと違うぞ」と囁き、細かい項目を見直しつつ、頭の中で順位づけしていた順番になるように、微調整していくのです。
そのため、最初から単純に『順位付け』すればいいのですが、「たった一つの基準でいいのか」と言えば、それはそれで「妥当性を欠くのではないか」と感じて、項目を増やしていきます。つまり、項目を増やす行為は、「妥当性を担保する」ためなのですが、評価する側は、結果的には相対認知バイアスが働くのです。
評価はそもそも解釈ですから、どこまで細分化しても事実を特定する指標にはなりません。曖昧なものは〝曖昧のまま〟扱う方が、評価は厳格になるのです。
そして、各自が主観的に相対化した点数を集めると、ある傾向が表れてきます。4か5をもらう人には傾向があり、1か2をもらう人にも傾向が出るのです。複数人が同じように回答すると合計点に差が出ます。その『差』こそが客観的差になるのです。
これは、統計学の知見としても明らかにされています。
つまり、「貢献度」という曖昧な基準で、各自に相対化させた数字を合計することが一番簡単で客観的かつ合理的評価となるのです。