古野のブログ
壁の花
2022.12.26
知り合いにパーティーに呼ばれました。特に興味ある集まりではありませんが、知り合いとの関係で顔を出すことにしました。
ここで質問です。
もし、誘われたのがあなたであれば、パーティー会場に着くと知り合いを見つけて、積極的に会場の中心の方に行こうとしますか?
それとも、会場の隅っこに陣取って、誰とも話をせずに静観する感じですか?
最近、「隅っこに居るのが嫌で、できるだけ中心に行きたい」という主旨のことを述べる人が結構多いのです。皆さんはほぼ保全性が高い人です。
何が嫌なのですか? とその理由を聞いてみました。
すると「一人でポツンとしているのが不安」「友達がいないのか/社交性がないのか、と思われたくない」でした。保全性の人は、コミュニティーに参加して枠組や友達を増やしたり、友人関係を広げていきますので、友人の数が多く〝外交的〟で〝社交性〟を身に付けている人が多いのです。但し、初めての人とは「人見知りなので、緊張しています」と異口同音に言うのです。
そのため、パーティーに誘われた場合、基本的には「誰かと一緒に行く」、もしくは「友人を誘っていく」のが前提です。たまたま、縁なく行かざるを得ない場合に、パーティー会場で、出来るだけ早く知り合いを探して、中心に進出するのです。
一方で、「いつも隅っこを選んでいる」と言う人は拡散性が高い人です。私も拡散性第一因子なのですが、隅っこ=出入り口付近の壁際で、「すぐに帰れる」場所にいるのです。そして「一人の時間」を楽しむ=例えば、「どんな人たちが来ているのか/面白そうな人はいないか」と偵察しているのです。「観察」というよりも、〝探っている〟感覚なので『偵察』が相応しい表現になります。
そもそも「一人でいることが楽」なのも理由としてあります。ビュッフェ形式であれば、興味ある食材と飲み物を適度に平らげて、帰るタイミングを見計っています。つまり、一人だからこそ誰にも慮る必要もなく自由なのです。そして、たまたま面白そうな人を見つけたら、ズカズカと割って入り、話しかけることもあります。それを期待している訳ではないので、本当にたまにですが…。こんな行為も自由だからできるのです。
保全性の人は、「一人が落ち着かない」「一人だと所在ない(広辞苑=することがなくて退屈である)」とよく言います。
ただ、知り合いと一緒に居て、楽しい時間を過ごすのは好きなのですが、「周囲の目を気にする」ことから、ちょっとした言動が気になり〝その場に合わせることの煩わしさ〟から、「一人が良い」「一人が楽」というケースもあります。つまり「煩わしさが前提」なのです。
では、「仲間たちと交わりたい」保全性は、〝外向的ではないか〟と思う人もいるでしょう。しかし、違って、保全性は「内向的」なのです。
内向とは「視線や思考が内側に向かいやすい」という意味です。従って「周囲からどう見られている=自分の姿」が気になるのです。「出来る人と思われたい」「カッコよいように着飾りたい」と自分の立ち振る舞いが気になり『内に向かう』のです。
拡散性は「外向的」。「外にある刺激に対して視線や思考が外側に向いていく」のです。だから、自分が「外側=周囲を見ている」で、キョロキョロと視線は動き、〝落ち着かない様〟となります。そして「あっ、これ面白い」と反応しますが、次の瞬間に別の興味に移ることもしばしば。脈絡がないのです。自分が周囲から「どう見られている」「どう思われている」か全く気になりません。
これが『内向』と『外向』の違いなのです。
つまり、保全性は「不安から」誰か知り合いを早く探したいと動くに対して、拡散性は、一人を楽しみつつ「偵察している風」で『壁の花』になっているのです。
表出している行動は「保全性」=動的、「拡散性」=静的、ですが、その要因は全く違うのです。
ちなみに「壁の花」を辞書で調べると「パーティーなどで、会話の輪から外れている女性」。その語源は「舞踏会で踊りに誘われずに壁際に立っている女性を語った言葉」だそうです。ネガティブな印象ですよね。
保全性は、ネガティブな印象には、「私は違う」と拒否するのです。
尚、外向=「陽気」、内向=「陰気」という定義をしている心理学もありますが、FFS理論とは違う定義ですので、混同しないようにしてくださいね。