今回取り上げるのは、理不尽な組織の中での爽快な「倍返し」で昨年ブームになったドラマ『半沢直樹』の原作でもある『オレたちバブル入行組 』です。
しかし、いくら理不尽とはいえ“土下座”は得策だったのでしょうか??弊社アナリストの大宮がナナメヨミ!
ナナメヨミ
第7回:他人を土下座させる人材を優秀といえるのか?
2014.05.20
『オレたちバブル入行組』池井戸 潤
組織の論理とかいう無言の圧力・・・・
実は、今回取り上げた小説には正直あまり思い入れはない。元々このコラムを任されるに当たって『対象の選択自体、興味本位でもよい』というぐらいの縛りだったのだが、『選択自体が趣味に走ると誰も読まない』ということになり、『ある程度名の売れている小説なりで書くことが望ましい』ということになり・・・、という訳で、今回も名のある小説を選んでみることになった。
さて、こんなコンテンツのテーマ一つ選ぶような小さな選択にも、『組織の論理』は『個人の意志決定』に影響するものだ。命令でなくて『影響』というのが重要である。そういった、不明確で、不条理な要求というのが組織に所属している人の行動を縛っているというのは、組織に所属している人が日々感じることである。
私も最初に入った会社はそれなりに大きかったので、『なるほど、これが世間一般にいわれている会社の理不尽な意志決定』というのを見ることができた(嫌いな部下を転勤させるとか・・)。そういった、不明確で、不条理な要求というのが組織に所属している個人の行動を縛っているというのは、組織に所属している人が日々感じることである。
ただ、完全にそういった不合理のない組織を想定することにも違和感がある。人間という者が介在している以上、何らかの不合理さを内包していると思っておいたほうが健全であろう。大きな組織は多かれ少なかれそういった理不尽な意志決定を抱えつつも、大きな組織として生き残っていることも事実だ。であれば、その参加者はその理不尽さがあることを前提に行動する必要が出てくる。
そんな組織の現実の中で、爽快な逆転劇を演じるためすっきりする。だから結構な流行になったドラマの原作が今回取り上げる作品である。一年後に取り上げるのはいささか流行に乗れていない感じではあるが、ドラマ『半沢直樹』の原作でもある『オレたちバブル入行組 [1] 』である。
理不尽を『倍返し』
まあ、あれだけ人気のあったドラマの原作なので、ストーリーをあらためて説明する必要はないとは思うが、簡単にまとめると、上司に濡れ衣を着せられて窮地に追い込まれた半沢直樹という銀行員が、周囲の協力や自分の能力をうまく使って見事に『倍返し』するという話である。
この話では、銀行を上司の印象が悪いだけでも減点対象になるような減点主義の組織として書かれている。そしてそのような組織の中で、自身の査定を握っている上司が濡れ衣を着せようとしているのである。普通なら『濡れ衣だ』とわかっていながら反抗できずに終わりそうな状況である。そのつもりで当面の敵である支店長も攻撃してくる。半沢のじゃまをする上位者がそろいも揃ってポジションパワーでいうことを聞くはずだという圧力をかけてくる。
そんな状況下で、組織の理不尽を甘んじで受けない態度、特に上司から不当な圧力をかけられても屈せずに自分の信念を貫き通す姿に、組織の理不尽に振り回されて、できれば理不尽な上司を土下座させたいと思っている世間の喝采を浴びたのである。
『韓信の股くぐり [2] 』
さて、仕事としては完璧に上司からの圧力をはねのけ、無事、債権回収を終え、自分への評価も回復させた半沢であるが、個人的には気になるシーンは『土下座』である。はたして、銀行という組織の中で上司に土下座をさせたのは賢明な選択といえたのだろうか?ちなみに土下座させた相手は支店長(一番悪い人)ではなく、支店長に荷担した、過去のいきさつ上恨みがある人である。
『仕事上の諍いを理由に、相手に土下座をさせた人』がこの後銀行という組織で出世できるのかについてはいささか心配になる。確かに当事者同士であれば、土下座をする側も、させる側も筋は通っているようだ。しかし、第三者的にみれば『あの人気に入らない人を土下座させたらしいよ・・』というゴシップとして伝わるだろう。『大人げない』という評価が定着してしまうのではないか。ましてや、銀行などという組織は本編でもご指摘の通り、体面を気にする組織文化であろう。いくら自分が正しかったからとはいえ、個人の体面を傷つけることが得策だったとは思えない。
まあ、そういう打算で動かないというほうが、半沢直樹が魅力的に映るようにということなのかもしれない。ただ、仕返し程度で、自分の評価を落とすぐらいなら敵を許すぐらいの『寛容 』を示したほうが良さそうだ。理不尽さに理不尽さを返すよりは、組織の理不尽さを超越した個人の目的を持つほうが生きやすそうである。
[1] 『オレたちバブル入行組』池井戸 潤 【著】文藝春秋 (2007/12/6)
[2] デジタル大辞泉より
「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将。
《韓信が、若いとき町でならず者に言いがかりをつけられ、耐えてその股をくぐったという故事から》大望をもつ者は目先のつまらないことで人と争ったりしないことのたとえ。
カエサルの敵に対する考え方を思い出したので。敵に対する『寛容』について書かれている。
「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何にもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」
<新潮社 ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後[上] p.104>