今回取り上げるのは2013年本屋大賞を受賞した『海賊とよばれた男』です!
『海賊とよばれた男』が求める人材と教育とは?
『彼はすごかった』というところでどうすればいいのか?を考えてみるナナメヨミ!
ナナメヨミ
第6回:『海賊とよばれた男』の教育???
2014.02.20
『海賊とよばれた男』 百田 尚樹
立派な経営者が語る『価値観』とは?
今回取り上げた作品は『海賊とよばれた男』 である。出光興産の創業者である出光佐三を題材に、国岡鐵造という主人公が、石油販売会社(国岡商店)を立ち上げ、第二次大戦や戦後の欧米資本の石油支配に立ち向かっていく姿を描いた作品である。2013年の本屋大賞であり、結構売れた本らしい。
この小説は、簡単に言えば『強い価値基準を持った人が会社を引っ張ったときの成功物語』に分類できる。この手の『価値観に基づくリーダーシップの物語』について考えるとき、個人的にはビジョンを示すことができるリーダーの生き様よりも、ビジョンを信じた人の『信じ方』について考えてしまう。もっといえば、リーダーの提示したビジョンになぜ盲目的について行ってしまうのかのほうが気になる。
成功する企業経営における議論においても『企業内で価値観を統一すること』の重要性はいわれている。様々な考え方の人がいる組織で、組織が求める物をわかりやすい言葉で意思統一できたらどんなに経営がやりやすいだろうと誰しも思う。
ただ、私はこのことを考えるときに、『それを企業が指導していい物なのだろうか?』といった疑問を持ってしまう。他人の価値観を塗り替えるような活動を一企業が行っていいことなのだろうか?
たいがい、組織ぐるみの犯罪、特に犯罪行為の隠蔽というのは、組織の内部的な決まり事を自己批判できなくなることで生じるものである。強固に意思統一された組織は、しばし、自分たちの信じるものを信じる側と信じない側に分けてしまう。そして、信じる側はよりそれを強化、統制しようとしてしまう。
『強すぎる価値観と、盲目的な追従性』という危険について、その『価値観と追従性』に国全体が流されてしまった時代が背景にある物語なので、余計に考えてしまう。
掛値なしの英雄譚なのだが・・・
ストーリーの中に、国岡商店の経営方針について書かれている。曰く、『馘首(解雇)はなし』『人間尊重』『出勤簿も就業規則もなし』『社員は家族』などなど、戦後の混乱期、石油販売の会社が、石油の輸入を止められ、それでも人を切らずにどうやって再生していくか、また、戦後に石油の価値が上がり、同時にそれを牛耳る海外資本が独占を企む中、独立販社としてどう対抗していくか、といったことが主軸になってくる。
国岡は持ち前の気骨とぶれない信条で、困難な時代でも強力なリーダーシップを発揮する。GHQやイギリスなどの横やりにも屈せず、次々と困難な状況をクリアしていく。また、国岡商店の社員は皆優秀で、国岡店主の命令を堂々と受けて仕事を完遂していく。
本当に、本人こんなこといっていたのか?と疑問に思い、一応、出光佐三自身の著書 も当たってみたが、確かに経営方針についてはほぼ小説に書かれていた通りのようだ。ご本人はこの小説ぐらいの紆余曲折を乗り越えて経営していたのだろう。
ただ、全部を読んで何かすっきりしない。一つ一つの事象は確かにすごいと思うのだが、なぜか爽快感がない。最初は国岡の主張に対する違和感かとも思ったが、そういった訳でもない 。価値観の中身は議論してもしょうがないし、本人がそう思っていて、そうしたかったことをストレートに主張し、それに共鳴してくれる優秀な人材が周りにいたのだから、それはとても幸せなことである。成功物語として成立している。
さて、この違和感はなんだろうか?
大人達の集まりではなく、親父と息子たちの組織
たまたま平行してGoogleのチームビルディングについて書かれた本 を読んでいた。この本の結論を簡単にまとめると『チームメンバーを大人として扱おう』ということである。メンバーを信頼し、尊敬し、謙虚になることがスキル的に優秀な人材が集まる集団では重要だという主張である。
だが、その『大人の常識』にぶれがあるから、価値観の統一などということを企業は行おうとしたがる。つまり、『大人』が集まって働いていれば誰も苦労しないということなのだが、その『大人』の基準がぶれているのだと・・・・。
ここまで考えて、ああなるほど『海賊と呼ばれた男』に関する違和感が解けた。
要するに、私は国岡鐵造に説教されていたのだなと。これは息子を叱る親父の物語であると考えると合点がいく。
つまり国岡が主張している『社員は家族』という言葉の中には『自分が家長として責任を果たす』という意味が含まれている。となると社員に対してやることは『父として正しい道を教えてやる』ということである。個々の独立を促しつつ、和を持って力を出し合って働いていくことが良いという主張には、『独立せよ』と『和を持って働け』という2つの意味が含まれているが、『なぜ独立が必要か?』『なぜ和が必要か?』ということは考えなくていいということになる。なぜなら、国岡が正解で私がわかっていないからである。
実際の企業経営では、出光佐三の命令を批判的にとらえて、より良いものにしていこうとした人材もいたはずである。しかし、小説ではあまりクローズアップされていない。国岡と部下との関係は『わかっているな』、『わかっています』の連続である。
同時に、『わかっているな』に『わかりません』という外部の人は単に『敵』である。『敵』には説得や啓蒙は行わない(家族ではないので)。自分は国岡に対しては敵だろうなと思うと、いたたまれなくなるというのがこの本を読んだときの爽快感のなさの一つでもあるのだろう。
ただ、他人の価値観を尊重することは重要だが、盲信してしまうことは国岡(出光)の嫌った『黄金(金銭)の奴隷』と同じく『価値観(国岡の考え方)の奴隷』ということになるのではないか?という疑問は残る。
『一つの価値観に対して諸手を挙げて賛成してしまうことは危険だ』というのが、戦争などという悲しい時代からの唯一の学びだったと思っていたのだが、違うのだろうか?
違う価値観をさりげなく同じ論理を使って説明しているように見えてしまい、個人的には『本当にそれでいいのか?』という疑問がぬぐえない。
[1] 『海賊とよばれた男』(上下巻)百田 尚樹 【著】 講談社(2012/07)
[2] 『働く人の資本主義 (新版)』 出光 佐三 【著】 春秋社(2013/10)
『出光佐三 魂の言葉―互譲の心と日本人 』滝口 凡夫 【編】 海竜社(2012/05)
[3] 特に『昔の日本人的なものに基づいて・・・』みたいな主張についてはホントなのか?と思うのだが、
別に本人が信じている限りにおいてはかまわないので。
[4] 『Team Geek―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか』
フィッツパトリック,ブライアン・W. /コリンス・サスマン,ベン【著】/角 征典【訳】
オライリー・ジャパン(2013/07)