今回取り上げるのは、誰もが知っているマンガ『SLAM DUNK』です。
数々の名言の裏に隠された人間関係をナナメヨミ!
ナナメヨミ
第3回:チームになっていく過程の物語
2013.08.13
第3回:『SLAM DUNK』
『SLAM DUNK』(ジャンプ・コミックス) 井上 雄彦 (著) 1990~96年
仲良きことは美しいのか?
意外に勘違いされていることだと思うのだが、機能しているチームでは、メンバー間の仲がいいとは限らない。どちらかといえば、生産性が高い時の人間関係とは『互いに痛いところを突く』関係なので、プライベートの些細なことについては共有したくなくなるはずだ。
少年マンガの世界では『ジャンプの3原則』というものがある。ジャンプの3原則とは『友情・努力・勝利』という3要素を(どれか一つでも)連載マンガには含めるという編集方針のことである。
要するにこれらの要素がうまくかみ合っていればジャンプのマンガとしては良いものになりやすいということなのだが、よく考えてみると時系列を指定しているわけではない。しかし、普通のマンガの中では『友情→努力→勝利』と扱われやすいように思える。
例えば『キャプテン翼』では、翼君はまず友達を得て、ライバルを得て、努力して、勝利する形になっている。まず仲間を集めて、仲間と一緒に努力し、最終的に結果を得る。ストーリーとしてはわかりやすく、RPGなどでも使われるパターンである。
そういった時系列を良い意味で裏切り、チームになっていく過程をリアルに丹念に描いた作品というのが『SLAM DUNK』という作品だといえる。
『友情→努力』の後に『勝利』はあるのか
さて、現実に『友情→努力』という時系列で勝利を得られるものなのだろうか? 現実の組織では、組織の目的・目標はすでに存在する。これを達成することが組織の『勝利条件』ということになる。同時に、組織に参加してくる個人毎の目的・目標というのは、個人毎に異なる。
組織が組織になっていく過程というのは、異なった目的・目標を持った人たちが改めて組織の目的と自分の目的を摺り合わせていく過程を通して、目的の修正や、目的達成までの組織内での役割分担などが決まっていくことである。
SLAM DUNKの時系列は大まかに言えば『集合→対立→努力→勝利→(友情)』となっている。個別の目的を持って組織に参加してきた個人同士が集まって結果を出そうとし、対立し、わだかまりを超えて統合されていく。 友達だから成果が出るのではなく、成果(結果)に対して試行錯誤をすることで友情を表現できるようになるのである。『アマは和して勝ち、プロは勝って和す (※1)』ということである。
個々の主張が明示的であるからこそ、最後の試合での一つ一つの場面が生きてくることになる。各人が『自分のための勝利』と言いながらチームメイトの能力と性格を有効に使っていく。流川から桜木へ供給されるパスなどの後半の名場面は、個々の我の強さが立っているから感動を呼ぶのだと考えられる。
危ういバランスの上に成立する傑作
個々の主張を抱えたまま湘北は勝利を重ねていくことになる。最終巻でも仲良くなったわけではなく『互いがやってくれることを信頼している』だけである。
キャプテンの赤木は最後に『オレたちゃ別に仲良しじゃねえし、お前らには腹が立ってばかりだ、だが、(このチームは最高だ)ありがとよ (※2)』という独白をするが、その後チーム全員が『オレのための勝利だ』と言い出す状態というのは、個々の主張が消えずに、目的は共有されている理想的なチーム像を示しているように思う。
湘北というチームが絶妙なバランスの上にこれ以上ない強さを見せて、最強の相手を倒したところでこのマンガは諸々の伏線を回収せずに終わってしまう。今も続編への期待が絶えないマンガではあるが、いみじくも湘北というチームが表現したように、バスケットマンガへの風当たりの強い時代(※3)、まだヒット作がなかった作者の状況(※4) など諸々の条件が微妙なバランスで統合してできた傑作といえるのではないだろうか。
さて、その微妙なバランスをもう一度実現できるか、言い換えれば作者の思いと環境要件が再び統合されることがあるのか?ということが続編のためには重要になるのだが、計算でできるものでは無さそうである。
- ※1三原脩の名言
- ※2『SLAM DUNK』 第30巻 p143~144
- ※3『SLAM DUNK』 第31巻 後書きより『・・・「バスケットボールはこの世界では一つのタブーとされている。」と何度も聞かされました。コケるのを覚悟しろという意味です(たぶん)・・・』
- ※4『SLAM DUNK』は2作目の連載。1作目は12話で終了